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2002年の宮城スタジアム [独り言]

2002年、自宅のインターネット接続環境は、電話線での、
ダイヤルアップ接続だった。
使った分だけ、課金される料金体系で、当時、月定額制の
料金体系があったのか、電話線より早い回線が、一般家庭
レベルで普及しはじめていたのか、そこら辺は、記憶がない。

2002年は、日韓ワールドカップが開催された年で、6月の
自分は、すべてを放り出して、パソコンに張り付いていた気が
する。
その時の、ネット接続料金は、どえらい事になったけれど、
貯金をとりくずす事なんて、なんとも思わなかった。

日本でワールドカップが開催されるなんて、自分が生きている
うちには、もう、ない、と思ったし。
しかも、自国の代表が、大会に出ていたし。

日本代表は、第1ラウンドを突破して、決勝トーナメント
1回戦(ラウンド16)で、トルコと戦う事になった。
もしかしたら、日本が、決勝トーナメントに進めるかも?、と
いう状況になった頃だったか、自分は、チケットのインター
ネット販売がある事を知った。

第1ラウンドのチケットは、事前の郵便での申し込み抽選に
はずれて、ばか高いセット販売のを、購入して、日本の出る
試合は見ていたけど、決勝トーナメントのチケットを、ネットで
買えるかもしれない、と知って、欲がでた。

ただ、その、チケット販売サイトは、非常にくせがあって、
自分が情報を持っていなかっただけかもしれないけれど、
いつ、どの会場のチケットが販売されるか、わからないし、
運良く、販売中にめぐりあっても、サイトは、激重で、その
状態で、もう記憶もさだかではないけど、15分以内とか、
短い時間内で、いろいろな情報を入力して、購入を完了しな
ければならない、という、ともかく、忍耐を要求されるもの
だった。(後日、いろいろ裏技的な方法もあったらしい事を
知ったが)

あの頃は、何かが憑いていたとしか思えない。
日常生活を放棄して、ずっとパソコンの前にはりついて、
目的の試合会場が、販売中になるまで、延々、ブラウザを
リロードし続けて、購入画面にたどりついても、切り替わ
らないは、エラーは出るは、で、心臓に悪い状況の中で、
あせりながら、何度も情報を入力しなおして、そして自分は、
宮城会場のチケットを手にいれた。

今でも“大邱”という地名を見ると、宮城が販売中になるのを
待って、延々とブラウザをリロードする間、ずっと販売中だっ
た大邱に、いっそ、行っちまうか!?、と、ぼんやり考えて
いた自分を思い出す。

仙台駅までの新幹線の座席を取って、会場の宮城スタジアムに
行く方法を、頭にたたきこんで、新幹線の駅まで行って、
2階建ての新幹線の車輌だった事だけは、覚えている。

仙台駅の売店で、店員さんに、夜、何時まで、やっているかを
聞いたら、サッカーを見に来たと行った訳でもないのに、店員さんが、
日本が勝ったら、ずっとやってますよー、みたいな事を、笑って返して
くれて、なんだかすごく嬉しかった。

仙台駅から、さらに電車に乗ったような記憶があるけど、車内で、
なんで、宮城スタジアムでやるんだろう、近くにスタジアムが
あるのに、というような会話を聞いて、今から思えば、それは、
ベガルタ仙台のホーム、当時の仙台スタジアム(今のユアテック
スタジアム仙台?)の事だったんだろうと思う。

途中で、地元の学生さんらしい一群が乗り込んできて、この人混みは
何?、サッカーの試合らしいよ、と話していたのも、仙台駅の
店員さんと比べて、ワールドカップに対する温度差を感じた、
懐かしい思い出。
さらに今考えれば、仙台駅の店員さんは、ベガルタ仙台があるから、
サッカーを見るお客さんに慣れていたのかもしれませんね。

宮城スタジアムは、仙台駅から、結構、遠くて、電車を降りて、
それから、バスに乗って、住宅地を抜けて、延々、運ばれて行った
先、降りて、さらに丘を登っていったところにあって、はるばる
やってきた、という感じ。

当日は、天気が悪くて、スタジアムの中でポンチョを着たけど、
蒸し暑くて、むきー、となったり、配られていたメンバー表を
見て、予想外のスターティングメンバーに、びっくりしたり、
今ではもう、そんな記憶しかないのだけれど。

その大会は、チケット販売については、いろいろ不手際が
あって、その日の宮城スタジアムも、大きく空席ブロックが
あった。
見たい人はいっぱいいたはずなのに、売られなかったので
あろう、そのチケットを考えると、今でも、そのチケット
販売を担当した会社を選んだFIFAに腹が立つ。

日本代表の敗退が決まって、まじ泣きで、スタジアムを出た
自分を待っていたのは、バス待ちの行列、雨も本降りになって
きていて、行列は動かないし、そのあたりから試合の結果は、
すかっと頭から抜け落ちて、涙目になっている場合じゃない、
帰る事だけに、必死になっていたような。
バスの次は、電車に乗るための行列が待っていて、もう、
忍の一文字、日本が勝っていたら、また違ったんでしょうが。

ただ、帰りの行列については、宮城会場の運営がどう、という
事ではなくて、めったにない、イベントだったし、多少の混乱は、
仕方がなかったと思う。
あえていうなら、当時、決して、交通アクセスがいいとはいえ
なかった(今はわかりません)、宮城スタジアム(しかもサッカー
専用スタジアムでもなかったし)を、会場に選んだ誰かが悪い。

今だったら、ただ黙って、行列している事もなく、携帯電話で、
ネットから情報を得たりできるんでしょうが、当時は、携帯電話で
ネット接続、というのは、今みたいに、一般的ではなかったような。

たどりついた仙台駅の売店で、仙台のおみやげを買って、行きに
寄ったところとは違うお店だったかもしれないけど、店員さんが、
(日本が負けて)残念でしたねー、みたいな事を言ってくれて、
なぐさめられた。
夕食用に駅弁を買おうとしたら、ほとんど売り切れで、全然、
宮城・仙台っぽくない駅弁を、新幹線の中で食べたっけ。

関東の新幹線乗り場と、宮城スタジアムを往復しただけ、という、
せっかく、初めて、仙台に行ったんだから、観光するとか、グルメ
スポットを回ってみるとか、したらよかったけど、その時は、
宮城スタジアムに行く、日本代表の試合を見る、その一念が
自分を動かしていたらしい。

今年、ベガルタ仙台が、久々にJ1リーグに戻ってきて、宮城
スタジアムの名前を、ちらちら見るようになって、その度に、
ちょっと胸が痛む、2002年の6月18日の記憶。

でも、あの日、仙台まで行った事は、後悔していない。
サッカーを見る為のスタジアムとしての宮城スタジアムは、
あれだったが、不思議と、いいところだった、という印象ばかり。
宮城・仙台っぽい駅弁を食べられなかったのは、今でも無念だが。
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