SSブログ

ジェフユナイテッド市原・千葉の思い出 [独り言]

あれはまだ、日本のサッカー界に、プロリーグがなかった頃の、確か天皇杯。
テレビで、若いゴールキーパーが、インタビューを受けていた。
若さと自負にあふれて、すごく生意気な(いい意味で)、受け答えをしていた彼は、
まだ、20才にもなっていなかったのではないか、古河電工の下川健一。
それが、自分が、古河電工という、サッカーチームの名前を覚えた最初だったと
思う。

Jリーグが出来て、古河電工は、後の、ジェフユナイテッド市原・千葉の母体になった。
(会社組織的には古河電工+JR東日本な感じですかね?)
高校サッカーの有力選手が入団したり、リトバルスキー(オールスター戦でだったか、
コーナーキックだかの時に、観客のドリンクを飲んでみせたりするパフォーマンスに、
外国のプロサッカーを感じたものだ!)が、活躍したり、特にファンではなかったけど、
ジェフは、気になるチームだった。

何かのユースの大会で、阿部勇樹という選手を見た。 ジェフユナイテッド市原ユースの
子だった。
阿部勇樹は、才能が輝いていて、市原ユースは、強かった。
以来、自分の中では、ジェフは、ユースが強くて、阿部ちゃんのいるチーム、という、
イメージになった。
阿部ちゃんは、若くして、トップチームデビューして、ああ、やっぱり、と、思った事だ。

ジェフは、名前に、「市原」が入っていて、でも、何年か後、「千葉」の名称を加えて、
それはちょっと感じが悪かった。
当時は、市原臨海競技場が、ホームスタジアムだったし。 「千葉県」だけど「千葉市」
じゃないじゃん!とか。
なんだか、羊頭狗肉というか、無理矢理、千葉市を持ってきた感じで。

ジェフ千葉は、いつもJ1の下の方を、うろうろしているイメージだったけれど、阿部
ちゃんの動向は、いつも気にしていた。
派手なチームではないけれど、ユース上がりの選手も多くて、クラブチームとは、
こうあるべき、みたいな、印象を、ずっと持っていた。
(失礼ながら)これで、トップが強ければな、とも。

そのうち、監督に、イビチャ・オシムが、就任して、ジェフ千葉は、そのサッカーが
見たいチームになった。
ナビスコカップでも、優勝して、やっとジェフ千葉の時代がくるのか、と思った。

でも、オシム監督はジェフ千葉から、去る事になって、阿部ちゃんも、浦和レッズに
移籍した。
だけど、ジェフ千葉には、それでもまだ、水野晃樹という、若い選手がいて、彼もまた、
そのプレイを見る為に、試合を見たい選手の一人だった。

その水野も海外に移籍して、ジェフ千葉の試合を見る理由がなくなってしまったけど、
ずっと気にしていたチームだったから、一年前、奇跡と言われたJ1残留をはたした
時には、本当に嬉しかった。

来季、ジェフ千葉は、J2リーグで戦う事になった。
しっかりした下部組織があって、そのピラミッド型の頂点に、トップチームがいる、
そんな、クラブチームの理想だったようなチームが、どうなっていくのかわからない
けれど、難しい事だとは、思いますが、そこのところは、かわらないでいて欲しいと
願います。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。