サッカーの神様 [独り言]
夜。
仕事帰りだった。
多くの人に混じって、信号待ちをしていた。
交差点の向かいには、目指す駅舎があった。
その日の深夜は、サッカー日本代表の、大事な試合があった。
テレビで生中継が予定されていた。
今から帰れば、試合の中継に間に合うな…
ふと、駅舎の手前側、高いところにある時計を見上げて、そう考えた。
もうすぐですね。
ふいに声をかけられて、見やると、やや年輩のご婦人。
自分は、何が、とも問わず、同意の言葉を返したと思う。
勝てるといいですね。
さらに、ご婦人が言って、自分は、もちろん、肯定した。
信号が変わって、そのまま、人の流れに混じって歩き出した。
その時、自分は、ふつーの仕事帰りの、ふつーの通勤着姿で、
サッカーを想像させるようなグッズを身につけていたり、という
事もなかった。
ふつーに信号を待つ人々の一人にすぎなくて、その待っている間、
まわりでも、別段、その夜の試合の話がされていた訳でもなかった。
自分はただ、信号待ちをしていて、一瞬、向かいの駅舎の時計を
見ただけだった。
1997年11月16日、日本代表チームが、初めて、ワールドカップ
出場を決めた、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」の、数時間前の、
12年後の今でも鮮明な、不思議な出来事。
仕事帰りだった。
多くの人に混じって、信号待ちをしていた。
交差点の向かいには、目指す駅舎があった。
その日の深夜は、サッカー日本代表の、大事な試合があった。
テレビで生中継が予定されていた。
今から帰れば、試合の中継に間に合うな…
ふと、駅舎の手前側、高いところにある時計を見上げて、そう考えた。
もうすぐですね。
ふいに声をかけられて、見やると、やや年輩のご婦人。
自分は、何が、とも問わず、同意の言葉を返したと思う。
勝てるといいですね。
さらに、ご婦人が言って、自分は、もちろん、肯定した。
信号が変わって、そのまま、人の流れに混じって歩き出した。
その時、自分は、ふつーの仕事帰りの、ふつーの通勤着姿で、
サッカーを想像させるようなグッズを身につけていたり、という
事もなかった。
ふつーに信号を待つ人々の一人にすぎなくて、その待っている間、
まわりでも、別段、その夜の試合の話がされていた訳でもなかった。
自分はただ、信号待ちをしていて、一瞬、向かいの駅舎の時計を
見ただけだった。
1997年11月16日、日本代表チームが、初めて、ワールドカップ
出場を決めた、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」の、数時間前の、
12年後の今でも鮮明な、不思議な出来事。
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