SSブログ

ミュージカル座公演「ロザリー」を観劇に行った [独り言]

(ネタバレです)

フランス革命時代を描いたフィクションといえば池田理代子氏作の
マンガ「ベルサイユのばら」、ミュージカルといえば宝塚歌劇団
「ベルサイユのばら」をまず思い浮かべる、そんなかたにとって、
“ロザリー”といえば、母の仇を打とうとしてオスカルと縁が出来る、
“わたしの春風”のあの娘さんなのではないでしょうか。

恐ろしい事に史学的な意味でフランス革命時代を学んだ訳でも
ないのに、「ベルサイユのばら」が史実を取り入れたマンガな
だけに、エピソードも地名も登場人物も自然に覚えている。
さらにその時代がテーマの物語は「ベルサイユのばら」ベースで
脳内補完完璧、世話役なのか監視役なのか、ロザリーが牢囚と
なったマリー・アントワネットと牢の中で会話する、それも
知っていて、そこから始まる、ミュージカル座公演「ロザリー」、
何一つ意外性がないという観劇になってしまいました。

舞台化されたものとしては、すでに宝塚歌劇団「ベルサイユの
ばら」がありますから、劇中で当時の市民の憎しみの象徴である
バスティーユが、武器をとった市民に落とされるシーンで
“ラ・マルセイエーズ”のフレーズが流れると、オスカルが撃たれる
シーンが脳内で再現されてしまう訳で。

「ロザリー」のロザリーは、階級社会で踏みにじられる下層の
市民側の王道側としての象徴的な立ち位置なのですが、「ベル
サイユのばら」のロザリーの印象が強すぎてなのか、どうもピンと
こず。

マリー・アントワネットは、処刑を目前にした30代女性からの一変、
その子供時代、楽に流れがちな普通の子供らしさが新鮮でした。
ただ、フランス革命の前後においては、善悪でいったら悪の立ち位置
なのは(観客は)知ってるはず、の前提なのか、なぜ、市民から
憎まれるようになるのか、そこにいたる過程が、脳内補完をしないと
よく分からず。

ロザリーとマリー・アントワネットが、つかの間、互いの過去を
話しあって、何か心が通じ合ってエンディングへ、なのですが、
どこに通じ合う要素があったのか、突然ロザリーが、王妃様は
無罪、逃げて下さい、みたいな事を言い出して、観ていた自分は
ポカーン…
なぜそうなる…
宗教観みたいなものなのかのぉ。

例えばマリー・アントワネットを殺そうとしたけど殺せなかった、
みたいなほうがまだしっくりくる。
いや、それも違うか。
尊厳、何それ食べられるの?的な過酷な人生だけど、それでも
虫も殺せない、といった設定ならまだしも、ロザリーさん、
あんた、バスティーユで兵隊さん、銃で撃ってましたがな。

人が決める罪ではなく、神の裁きの意味での無罪?
しかしそれを言ったロザリーは、自ら死を選択した、それこそ
天の国には行けない禁忌をやらかしておるから、どの口が神を
語るのかと。

全体的に曲も歌も振り付けも演出も素敵、でも、おちが腑に落ち
なかったのと、「ベルサイユのばら」を知っていると雑念が邪魔を
して入り込めないのとが残念でした。

むしろ、劇中、下層の市民の中の悪的な、いわゆる「王妃の
首飾り事件」の首謀者ジャンヌと、劇中では共謀者の宝石商の
スピンオフを見たくなりました。
ないですが。
ロザリーもマリー・アントワネットも最後のほうは神様神様
言っていて、ポカーンだった部分があったのと比べてリアルな二人、
魅力的でした。

カーテンコールの時に、いわゆる“輪っかのドレス”の衣装の
役者さんが、宝塚歌劇の娘役さんのような、膝を折るお辞儀で、
ちょっとツボ、あの時代物の女性の衣装は華やかで素敵ですな。
髪型はぶっ飛んでますが。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。